読書日記~9月~

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『エフォートレス思考』

グレッグ・マキューン かんき出版 2021年

文責 N

『今、この瞬間』

 難しいのは、聞くことではない。聞きながらその他のことを考えないことだ。

 難しいのは、その場にいることではない。そこにいながら過去の出来事や未来の予定に気を取られないことだ。(電子書籍97ページ)


 この文章を読んだときにハッとさせられた。

 何かをしながら、別のことをする方が難しく、また、二つ以上のことを同時にできることこそが効率的に物事を進める秘訣なのではないかと考えていたからである。

 最近の書店では、「効率化」や「無駄を減らす」といった言葉が書かれた本が目立つところに置かれていることが多いように感じる。自分自身そのような本を見つけたときには「何だろう」と思い、興味をもつ。

 しかし、自分は何のために「効率化」をしたかったのだろうか。

 目の前の一瞬を大切にする余裕がほしかったのではなかったのだろうか。目の前の一瞬を大切にする時間を確保するために、目の前の一瞬を大切にできていないという矛盾が起こっていなかっただろうか。

 私は「効率化」を意識するあまり、いつのまにか一つのことに集中することの大切さを忘れてしまったようである。だからこそグレッグ氏の言葉がとても心に響いた。


 一つのことに集中することの大切さをグレックは次のように述べている。


 人の存在は、大きな力をもつ。全身全霊でその場にいるとき、そして全力で相手に向き合うとき、私たちの存在自体が、相手に予想もしないほどのインパクトを与えることがある。(電子書籍103ページ)


 自分は子どもの前にいるとき、全身全霊でその場に「いた」だろうか。子どもと全力で向き合っていただろうか。心の中で「この後は…」、「クラスのためには…」といったことを考えていることがなかっただろうか。

 子どもたちのために…と様々な教育技術を学ぶことや、効率的に業務を進めていくことは悪いことではない。必要なことである。しかし、それ「だけ」になることがないようにしなければと考え直すきっかけになった。何のための学びで、何のための効率化なのか、本質を見誤らないようにしたい。


読書日記~8月その3~

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『「させていただく」の使い方』

椎名美智 角川新書 2022年

文責 A

『研究者の姿勢から学ぶ』

 最近よく耳にするようになった「させていただく」という表現。

 そのちょっとした表現に着目し、なぜ人々がこの表現を使うようになったのか、その理由を追究した成果をまとめて解説したのが本書である。

 その理由も興味深いが、今回は、この著者から学べる「道徳教育の評価に活かせる視点」を紹介させていただく。


 椎名氏は述べる。

 「させていただく」という言い方は、多くの人に広く使われています。もちろん違和感を覚えるとの意見も少なからずあるわけですから、その言い方を分解して分析するのは重要なことです。  (p89)


 日常的によく使われているにも関わらず、人々が違和感を覚えるような表現に着目し、その表現が好まれるようになった要因を社会の変化、人々の意識の変化、そして日本語の敬語の変化に焦点を当て探っているのである。

 椎名氏から学べることは、ささやかな言動を受け止める鋭い感性と、その重要性である。

 道徳教育の評価においても、教師が子どもたちのささやかな言動を捉えようとする姿勢が欠かせない。

 授業後の子どもたちに変容が見られたとしても、その何気ない一言や、ちょっとした行動を捉える力が教師になければ、適切に評価することはできないからである。


 さらに、椎名氏は捉えた言動を、人々の意識の変化と結びつけて、次のように述べている。


人々の匿名性が高まり、(中略)私たちは対面する相手をどのように遇すればよいのかわからなくなります。そういうとき、人々は相手に失礼のないように、そして自分がちゃんとした人間であることを示すために、寄る辺なく敬意にすがり、新しい表現方法として「させていただく」を見出したのではないかと考えたくなります。(p89)


 「させていただく」という表現の使用に、対人関係をより円滑にする働きという価値を見出し、意味づけている。

 ここから、子どもたちのちょっとした一言や行動にどのような道徳的な価値があるのかを、教師が的確に意味づけることの必要性を学ぶことができる。

 学級通信や学級の時間を活用して、その意味づけを学級全体で共有することで、その価値が浸透していき、個人や学級全体の成長につながっていく。


 道徳の授業だけで終わるのではなく、道徳教育の評価も子どもの変容をさらに促す手立てとして活用していきたい。


読書日記~8月その2~

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『バナナの魅力を100文字で伝えてください』

柿内尚文 かんき出版 2021年

文責 N

『伝えると伝わる』

 教師は日々子どもたちに多くのことを「伝え」ようとする。

 しかし、どのくらい「伝わって」いるのだろうか。

 「伝える」と「伝わる」の間には大きな壁がある。視点の違いから生まれる壁である。

 「伝える」は話し手視点の言葉であり、「伝わる」は聞き手視点を取り入れた言葉である。

 「伝わる」ということについて、柿内氏は次のように述べている。


 伝わるとは、伝えたい相手の心に「印象+記憶」を残すことでもあります。(電子書籍p46)


 柿内氏の主張を基に考えると、伝えたいことを話すだけでは、相手に伝わらないということになる。印象を残すことが大事なのである。話をしているときに相手に届くのは言葉だけではない。目線、身振り、表情といったことに加え、立場や状況などあらゆることをメッセージの一部として聞き手は受け取る。それらの要素のどこかでギャップを感じさせたり、好意をもたせたりすることができれば伝えたいことの印象を残すことができる。

 また、記憶に残すために必要な大きな要素の一つは、「納得感」である。印象に残った話について、「なるほど」や「確かにそうだ」と感じた度合いにより、記憶への残り方は変わる。


 私を含め、教師という職に就いている人は、人に何かを伝える場が多々ある。そこで大切なことは、その気持ちをそのまま出すのではなく、どうしたら「伝わるのか」=「印象+記憶にのこるのか」を思考することである。


 柿内氏は以下のようにも述べている。


伝え方というと、「どう話すか」「どう伝えるか」というアウトプットに意識がいきがちですが、聞く力や親近感も「伝わる」の大切な要素です。(電子書籍p63)


 伝わるためにはどうしたらよいかを考えるときには、話すときの工夫を一番に考えがちではないだろうか。しかし、柿本氏は、聞く力や親近感も大切であると述べている。つまり、教師として「伝わる」話をするために工夫するべきことは、伝えたい話をするその瞬間だけではないということだ。

 自分の話が子どもたちに伝わらないときは、伝え方を見直すだけでなく、自分の指導法や関わり方も見直してみてはいかがだろうか。


読書日記~8月その1~

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『歴史思考 世界史を俯瞰して、思い込みから自分を解放する

深井 龍之介 ダイヤモンド社 2022年

文責 I

『当たり前を疑う』

 歴史上には、たくさんの偉人がいる。

 偉人を扱う道徳授業を開発するとき、偉人の素晴らしい功績を目にするが、「それに引き換え自分は・・・」と自信を失ってしまう人も多いだろう。

 私がその一人だ。

 しかし、偉人たちは、本当に偉かったのだろうか。優秀で、清廉潔白で、完璧な人だったのだろうか。

 深井氏は、歴史を俯瞰する見方として、次の2点を示している。


 人間の評価を、短期的なスパンで下すことにあまり意味はない(p27)


 かの有名なカーネル・サンダースが、ケンタッキー・フライドチキンを創業したのは、65歳。それまでのサンダースの人生は、事業に失敗し、2度も破産している。そこだけを切り取って見ると「なんて不幸な人生なんだ。」と思うだろう。

 このように、歴史上の偉業なんて、どこで切るかで評価は大きく変わってくるのである。


人の価値観は絶対ではなく、場所や時代によって変わる(p18)


 ソクラテスも織田信長も、多くの歴史上の偉人が同性愛を経験している。

 人類史を見ると、男性同士の恋愛は当たり前だった。それがなぜ、同性愛が特殊で、否定的なイメージをもたれるようになったのか。

 それは、キリスト教の影響である。キリスト教の拡大とともに、同性愛を否定する考え方が広まっていった。

 このように、現代では少数に見えることが、実は歴史の中では一般的だったことがたくさん存在する。

 深井氏は、歴史を知るというのは、

 私たちの「当たり前」が当たり前ではないことを理解すること


だという。

 歴史を俯瞰して、「当たり前」という思い込みから自分を解放すれば、目の前にある悩みにとらわれずに済むこともあるはずである。だからなのか、この本を読んだ後、自分の悩みがちっぽけに感じ、楽に生きるヒントをもらったような気持ちになった。

読書日記~7月~

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『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』

山口周 光文社新書 2017年

文責 A

『美意識を鍛えることと授業づくり』

 今、世界のエリートは「美意識」を鍛えることに目を向け始めているのだという。


 これまでのような「分析」「論理」「理性」に軸足をおいた経営、いわば「サイエンス重視の意思決定」では、今日のように複雑で不安定な世界においてビジネスの舵取りをすることはできない、ということをよくわかっているからです。(p14)


 もちろん、論理的に因果関係を考えたり、数値等を分析して問題解決を図ったりする「サイエンス重視の意思決定」も重要である。

 しかし、多くの人がそうした問題解決能力を身につけた結果、似たような解決策しか見出すことができず、逆に他との差別化を図ることが必要になってきているからだという。


 そこで重要になるのが、「直感」や「感性」という「美意識」なのである。


「フワッ」と浮かんだアイデアが優れたものであるかどうかを判断するためには、結局のところ、それが「美しいかどうか」という判断、つまり美意識が重要になるからです。(p88)


 論理的、分析的な思考だけでなく、「美しい」「いい」「心に響く」というような「美意識」で判断することが、差別化を図り、オリジナリティやユニークさのあるアイデアにつながるのだ。

 これは、小さな道徳授業づくりにもいえることではないだろうか。

 ポスターや看板などを見て、「フワッ」とした教材化のアイデアが思い浮かぶことがある。

 そこで、「美意識」を基準にそのアイデアの優劣を判断することは、子どもたちを惹きつけたりワクワクさせたりするような素材を精選することにつながるのではないだろうか。


 では、「美意識」をどのように鍛えることができるのか。


 山口氏はその方法として、次の4つを提案している。(p211)

① 絵画を見る ② 哲学に親しむ ③ 文学を読む ④ 詩を読む


 例えば絵画を見るときに、「何が描かれているのだろうか」「絵の中で何が起きていて、これから何が起こるのだろうか」「自分の中にどのような感情や感覚が生まれているだろうか」と自問自答することで、ちょっとしたヒントから洞察を得る観察力を向上させることができる。

 そうした観察力は、身近にある素材や教材の構成要素に気付くために必要な力でもある。


 「直感」や「感性」という美意識を鍛えることは、授業づくりという教師の力量を高めることにもつながるのである。

読書日記~5月~

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『心理的安全性のつくりかた』

石井遼介 JMAM 2020年

文責 A

『 よりよい学級づくりのために』

 近年、ビジネスの世界で効率的な組織・チームを作るために重要とされている概念に、「心理的安全性」がある。

 石井氏はその概念を次のように定義づけている。


 組織やチーム全体の成果に向けた、率直な意見、素朴な質問、そして違和感の指摘が、いつでも、誰もが気兼ねなく言えること(p3)


 これは、学級という組織・チームをつくる教育現場でも重要な概念ではないだろうか。

 石井氏によると、ある要因があると「心理的安全性」を確保できないという。


 それは、「対人関係リスク」である。

 チームにおいて、自分の発言や行動について、他の人から「こんなふうに思われるかもしれない」とか、「あとで何か言われたりされたりするかもしれない」と不安を抱えてしまう状態のことである。

 そのような「心理的『非』安全」な集団では、挑戦することがリスクとなるため、行動を起こすことができなくなり、個々の気づきや知識をうまく集団の財産へと変えることができないのである。


 では、どうしたら「心理的安全性」を確保できるのか。

 石井氏は、次の4つの因子があるとき、心理的安全性が感じられるという。(p49)


①話しやすさ  ②助け合い  ③挑戦  ④新奇歓迎


 何を言っても大丈夫という「話しやすさ」があり、困ったときはお互い様と考えて建設的に解決策を模索して「助け合い」、とりあえずやってみようと「挑戦」し、個々の強みや個性など「新奇歓迎」する集団は、高い心理的安全性が確保されるのである。


 学級経営において、教師は①②③④を実現させるために何ができるだろうか。

 例えば、学級における「話しやすさ」を高めるためには、まずは教師が子どもの発言を肯定的に受け止める姿勢が大切である。

 発言を求めるときにも、「意見を共有してくれますか」「自分の考えをペアやグループで共有しましょう」と投げかけることで、お互いの意見や考えを学級全体で共有しようとする雰囲気を醸成することができる。

 そうした土台を生かして、お互いを素直に認め合い、肯定的な声をかけあえる学級づくりをねらいとして「小さな道徳授業」を行うこともできるだろう。例えば、鈴木健二編著『学級経営に生きる 5分でできる 小さな道徳授業1』に掲載の「すなおに言える?」(p58、59)である。

 では、残る②③④の因子を高めるために、あなたならどんな「小さな道徳授業」や学級活動を仕掛けたいと思われるだろうか。

読書日記~4月 その2~

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『ヘーゲル哲学に学ぶ考え抜く力』

川瀬和也 光文社新書 2022年

文責 A

『 考え抜く力を身につける』

 「人生100年時代」といわれ、これまで以上に企業・組織・社会との関わりが長くなっていく。

 そのような時代に活躍し続けるために社会人に求められる基礎力の一つが、「考え抜く力」なのだそうだ(「人生100年時代の社会人基礎力」経済産業省)。


 常に問題意識をもって課題を発見し、どうすれば解決できるのかと疑問をもって、自律的に深く考える力。そんな「考え抜く力」を、私たちはどうすれば身につけられるのだろうか。


 川瀬氏は、「近代哲学の完成者」と称されるヘーゲルの哲学を援用しながら、私たちの目に映る「現れ」と、物事の「本質」の次のような関係を理解することが大切だという。


把握しやすいが移ろいゆく「現れ」と、捉えにくいが確固とした「本質」は互いを支え合って存在している。(p156)

 目に見える「現れ」を注意深く観察し、その課題や解決策を深く考えることで、その向こうにある物事の「本質」に迫ることができるようになるのだと、川瀬氏は説く。


 これは、道徳の授業づくりにも当てはまるのではないか。


 特に、現代的な課題に対応する道徳授業を開発するとき、目に見える課題ばかりに目がいってしまい、その表面的な解決策について考えようとしてしまいがちである。例えばヘイトスピーチやごみのポイ捨てという「現れ」の向こうには、誰にも存在しうる差別意識やいっときの無責任さという「本質」がある。その「本質」に迫ることで、授業の質が高まり、子どもの認識の変容を促せるのではないだろうか。


 さらに考え抜くためのステップについて、川瀬氏は次のように述べている。


 第一に、常に新たな知識を取り入れ続けることである。そして第二に、知り得たこと同士の結びつきを考えることである。(p263)


 常に新たな知識を取り入れることで、「現れ」の新たな側面をより丁寧に認識することができるようになる。しかし、それだけではなく、取り入れた新たな知識同士の結びつきを考えたり、自分の経験や既知の知識と照らし合わせたりすることで、より柔軟な発想が可能になるのだという。

 これは、新たな道徳授業を生み出すステップと共通している。

 身近な素材を収集し続けることによって、世の中の見え方が少しずつ深くなっていく。それは、素材同士の新たな関連の発見や教科書教材との効果的な連動への気づきをもたらす。

 「考え抜く力」を身につけようとする意識は、道徳授業の質の向上につながることだろう。

読書日記~4月 その1~

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『バイアスとは何か』

藤田政博 ちくま新書 2021年

文責 A

『バイアスと上手く付き合う』

 毎日、たくさんの子どもたちと接する教師。

 日々の関わりを通して、子どもたちをよりよく理解しようと努め、そうした理解や認識を指導や授業づくりに活かすことで、教育効果を高めることもできる。

 しかし、もしその理解や認識がゆがんでいたとしたら、指導や評価にどんな影響を及ぼすのだろうか。


 そうした、「物事を現実とは異なるゆがんだかたちで認識してしまう現象」こそが、本書が扱う「バイアス」である。


 例えば、次のようなものがある。

 【確証バイアス】仮説を証明したいという思いから、自分の仮説にあった事実をピックアップしてしまうバイアス(p100)

 「この手立てを講じれば、子どもたちにこのような変容が見られるだろう」。

 「この練習方法を取り入れれば、確実に力がついて、目標を達成できるだろう」。

 そうした思いが強ければ強いほど、その仮説にあった子どもの姿に目を留めてしまうのである。

 たとえ、悩んでいたり、否定的な反応を示していたりする子どもがいたとしても、そのことに気づくことができないのである。


 また、次のようなバイアスもある。

 【錯誤相関】相手をカテゴライズして、目立つものどうしが実際以上に強く結びついていると認知してしまうバイアス(p124)


 藤田氏が紹介する実験結果からすると、少数派のグループの行動は、それが望ましい行動であっても望ましくない行動であっても、見かける頻度が少ないがゆえに、目立つ行動と判断されてしまうという。

 気になる少数グループの言動を、過度に望ましくない方向に認知しないように注意する必要がある。


 藤田氏は、バイアスについて知ることの意義を次のように述べている。

 意識的選択や意思決定を行う際に「自分がそれに基づいて判断しようとしている情報には、バイアスによるかたよりが含まれているのではないか?と考え直すことで、意思決定の際に不都合なかたよりに影響されたままにならずに済むようになることもあります。(p48)

 自分の思い込みや、現実とは異なるゆがんだ認識による指導や評価をすれば、子どもを置き去りにした授業をしたり、子どもを傷つけたり、信頼関係を損なったりしてしまう可能性もある。

 「今の自分は、バイアスに影響されていないだろうか?」と、ちょっと立ち止まって考えたくなる。

読書日記~3月~

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『おとなになるのび太たちへ』

まんが 藤子・F・不二雄/選 猪子寿之 梅原大吾 梶裕貴 亀山達矢 菅田将暉 田村優

辻村深月 なかしましほ はなお 向井千秋 / 小学館 2020年

文責 F

『世界を変えるもの』

 「あやとり世界。」

 国民的人気マンガ「ドラえもん」で描かれる1つのストーリーである。ある日、のび太は特技のあやとりで新技を開発する。しかし誰にも相手にされない。そこで、「もしもボックス」を使ってあやとりが大流行している世界をつくる、という話である。

 そんな「あやとり世界」を自分の人生に照らして紹介するのが、eスポーツプレーヤーの梅原大五氏である。

 数年前まで、ゲームは、あやとりと同じように取るに足らない、ちょっとした暇つぶしのような存在でした。むしろ「ゲームは悪いもの」と思われていて、ゲームをやっていると怒られたりもしていたのに、最近では「ゲームはそんなに悪くない。仕事にもなるらしい」ということになって、突然手の平を返したように、「すごいですね!」と賞賛されるようになりました。

 自分の特技がなかなか評価されない状態から、世界の方がガラリと一変する、まさしく「あやとり世界」のような体験をしている人物が実際にいたのである。


 しかしこの例は、世界がたまたま運良くガラリと変わったというだけの話ではない。

 梅原氏はいう。

 それは趣味だろうが仕事だろうが、なんだろうが、みんなが諦めちゃうところで、もうちょっと、倍くらいやってみるとか3倍くらいやってみるとか、そうすると、景色が変わってくるっていうのが、実体験としてあります。

 もちろん運の良さもあるだろうが、それは”2倍、3倍のもうちょっと”の継続に支えられているということである。”もうちょっと”の積み重ねこそが、梅原氏をゲームが認められる世界へ導いたのである。


 梅原氏は17歳のときに世界大会で優勝している。

 一人の少年の”2倍、3倍のもうちょっと”の積み重ねが結果を生み、世界を驚かせたのである。それはきっと、ライバルのプロゲーマーを奮い立たせ、多くの新たなプロゲーマーを生み出すことにつながったのではないかと思う。

 そうした”2倍、3倍のもうちょっと”を積み重ねる人たちによって、世界は変わっていくのである。


 諦めるな!やり続けよう!

 実体験をもつ梅原氏の言葉は、重く簡単なものではない。しかし今自分が取り組んでいる端から見れば些細な仕事や趣味に、”2倍、3倍のもうちょっと”を加えたら…、と希望を抱かせてくれる。

読書日記~2月~

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『「大発見」の思考法 ~iPS細胞vs.素粒子~』

山中伸弥 益川敏英 文春新書 2011年

文責 F

『研究者に必要な才能』

 教育実習のときに指導教官から言われた話が今でも心に残っている。

 教師には3つの顔がある。1つ目は、役者の顔。2つ目は、医者の顔。3つ目は、研究者の顔。

 子どもの前での振る舞い方、子どもの見取り方、授業のつくり方、指導教官が教職の心構えを教えるために分かりやすいと考え、話してくれたのである。


 指導教官によれば、教師の3つ目の顔「研究者」。

 “研究者に必要な才能”と言われれば、何を思い浮かべるであろうか。

 新たな発想を生み出す想像力か、根気よく研究し続ける忍耐力か、それとも研究結果を正確にまとめ、報告する誠実さか。


iPS細胞を世に送り出した世界的研究者である山中伸弥氏は次のようにいう。

 自分のやった実験の結果を見て、「うわ、すごい!」って面白がれる人じゃないと、研究を続けていくのは、難しいと思うんです。そこで、心からびっくりできる、感動できるというのが、研究者に必要な才能だと思います。(p90)

 「うわ、すごい!」と面白がる才能がなぜ必要なのか。山中氏はこう続ける。

 実験なんて予想通りにいかないことのほうが多いですから。私は学生にこう言っているんです。「野球では打率三割は大打者だけど、研究では仮説の一割が的中すればたいしたもんや。二割打者なら、すごい研究者。三割打者だったら、逆にちょっとおかしいんちゃうかなと心配になってくる。『実験データをごまかしていないか?』と言いたくなるくらいや」と。

 仮説の的中率が三割を超えるというのは、本当に稀なことです。普通はそんなにうまいこといくわけがない。

 むしろ、予想通りではないところに、とても面白いことが潜んでいるのが科学です。それを素直に「あ、すごい!」と感じ取れることが大切だと思います。(p99)


 山中氏の考えを「研究者」としての教師に当てはめてみるとどうだろうか。

 教材研究をする「研究者」であるとき、自分がどれだけの「うわ、すごい!」に出合う努力をしているだろうか。研究授業をする「研究者」であるとき、子どもの思わぬ反応をどれだけ「うわ、すごい!」と受け止めているだろうか。研究結果について、「実験データをごまかしていないか?」と言われるような研究になっていないだろうか。研究の失敗に感動できているのだろうか。

 iPS細胞は、がん細胞の研究の失敗がきっかけで生まれたという。当時のボスが予想を外してがっかりしている中、未知との出合いに感動した山中氏の才能が、「大発見」を生んだのである。

読書日記~1月~

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『深く考える力』

田坂広志 PHP新書 2018年

文責 F

『敵は、我にあり。』

 「深く考える力」は、どのようにすれば身につけることができるだろうか。


 そのヒントとなるエピソードが本に紹介されている。

 プロ野球選手の若手選手が、張本勲氏に理想のバッティング・フォームを尋ねたエピソードである。

「張本さん、理想のバッティング・フォームについて、教えて頂きたいのですが」

 この質問に対して、張本選手は、こう答えた。

「理想のバッティング・フォームか。もし、君がそれを知りたいのならば、一晩中、素振りをしなさい。一晩中、素振りをし続けて、疲れ果てたときに出てくるフォーム、それが、君にとって一番、無理のない理想のフォームだよ」(P.88)

 著者の田坂氏のよれば、このエピソードが”大切なこと”を教えてくれるという。


 ”優れた授業”や”優れた学級経営”の「答え」を求めて書籍を買ってしまった経験がある。

 セミナーで配布された資料教材について、「自分ならどう授業するか」をよく考えもせず、講師の示す展開の「答え」を速く知りたいと期待してしまった経験。


 あるセミナーで中学年向けの道徳授業を提案したとき、参加者から次のように尋ねられたことがある。

 「これを低学年向けにアレンジするとしたら、どんな展開にしますか」

 私は答えに詰まってしまった。担任する中学年の子どもを想定し、試行錯誤を重ねた結果の提案だったからである。

 この質問者もまた、「答え」を求めていたのだろう。

 「答え」を安易に他者にもとめてしまうことは、私に限らずあるようだ。


 田坂氏はいう。

 永年の体験と厳しい修練を通じてしか掴むことのできない深い「智恵」を、単なる「知識」として学んだだけで、その「智恵」を身につけたと思い込んでしまう。(P.86)

 『「智恵」を身につけた』という思い込みは恐ろしいものである。

 敵は、我にあり。(P.89)

 他者から得た「知識」をいかに自分の「知恵」へと変えていくか。自分が何を思い出し、何を思いつき、何に悩むのか。「深く考える力」を身につけるための第一歩は、『「智恵」を身につけた』という思い込みに陥っていないかどうかを、常に自問自答し続けることにある。

開催予定

2022年8月27日(土)ライブ配信13:30~16:30教育出版 道徳オンラインセミナー
2022年10月22日(土)13:00~17:00第19回感性を磨くセミナー
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